
震災後、だれもがこう思ったことでしょう。
実際に多くの人が、
- 義援金を集める
- 被災地にボランティアに行く
- 援助物資を集めて送る
ということをしていました。あなたもその一人かもしれませんね。
しかし、私としては震災直後から今に至るまで「はたしてどうなんだろうか?」という懐疑的な感情を抱き続けています。
「いま何ができるだろうか?」
この言葉は美しくも高尚で、聞こえがいい言葉かもしれません。
ただ、結局のところ私たちができることで力を注ぐべきなのは「いつもどおりのことをただ一生懸命すること」なのではないかと思うのです。
今回の大震災で多くの人が頭に浮かべ、実際に声に出した言葉、
「いま何ができるだろうか?」
を考えたとき、あなたは何が浮かんできましたか?多くのことが浮かんできたと思います。
「直接現地に行こうか?」
「何か物資を送ろうか?」
「自分の仕事を生かせないか?」
「(被災家族が親族なら)自分の家を提供できないか?」
「義援金を寄付をしようか?」
そしてこうも思ったはずです。
「なにをしていいかわからない」
「誰に聞いたらいいの?」
「情報が少なすぎる」
「政府は何をしてるんだ」
などなど。
そしてなにもしない。
心が痛み、何かしたいと思う気持ちはあるのに、なにもしない。
ちょっと考えてみてください。どこかで聞いたことがありませんか?そう、「いつもの言い訳」といっしょです。
さらにはこうです。
「自分ひとりの力なんてたいしたことないからなにもしなくてもいいか・・・」
悲しくなるくらいのいつもの言い訳。。。
でも今回だけは、私だけかもしれませんがこのような言い訳をする人よりも「何かをしなければ」と本気で考えた人のほうが多かったのではないかと思っています。行動した人も多かったはず。それくらい被害が甚大だったともいえます。
そして直接なにかできた人も、できなかった人も、頭に浮かんだ「何かできること」とは、
- 自分の今までの経験
- 仕事でしてきたこと
とかだったと思います。つまり、自分の得意分野。そして多くの場合、「いつもしていること」だったはず。
それがあなたの強みであるし、他のひとがあなたの力を借りたいことだし、あなたが他のひとに力を貸せる、貸したいところというわけです。
震災直後、いろいろな情報を私も集めていましたが、ふと、あるアーティストのブログに行き着き、「こんなときに笑って歌うことなんてできない」といったような書き込みを見つけました。
その書き込みには多くのファンが、
「いつものように笑っていてほしい」
「笑顔をみて癒されます」
「元気をもらえます!
「ごめんねなんて謝らないで」
といったようなコメントが多数寄せられていました。被災者のファンも少なくなかったと思います。このアーティストは幸せ者だなと思うと同時にやっぱりそうだよな、と感じました。想いを胸にいつものことを一生懸命するだけだよな、と。
震災でお亡くなりになられた方もいらっしゃるのに大変不謹慎かもしれませんが、私はこう思うのです。
多くの方が「いま何ができるだろうか?」という自問をしてその答えが「いつもしていること」をいままで以上ににがんばることだったなら、自分の強みを再確認し、自分に自信が持てただろうと。
生き残った人々には自分を見つめなおすよいきっかけだったのではないかと思うのです。もちろん私自身も含めて。
なかには、頭に浮かんだ「何かできること」が、「いままでしたかったけどできなかったこと」だった方もいるでしょう。大震災というきっかけが得られるまでなにもできなかったことはあなたにとっても、社会にとっても、本当にもったいないことでした。いまからでも遅くないので始められたらきっと社会ももちろん、本来のあなた自身が喜んでくれるでしょう。
私は阪神大震災を経験していますが、そのときもリスペクトを受けて実際に生き方を変えられた方も見ています。しかし、そういう方は少数です。多くの方は、変わらない生活、震災前と同じことをしているのではないでしょうか?
なにか新しいことをする前に、
- 自分の得意なこと
- 自分の仕事
- 自分の役割
そういった今まで普通に暮らしてきたことをすること。これがまず前提になると私は思います。
こういった当たり前のことを飛びぬけて、何か新しいことをしなければならないような、しなければ非国民のような風潮になっていることに私は懐疑的な感情を抱いているのです。
- 会社員であれば会社でやっている仕事を頑張る。
- 自営業であれば自分の商売を頑張る。
- 投資家であれば自分の投資を頑張る。
今までやってきたことを今まで通り頑張ることあるいは今まで以上に頑張ること。
まずはこれが前提にあって、もし余力があり、頭で考えるより先に体が動いてしまうのであればボランティアをしたり義援金に協力すればいいと思います。
誤解がないように言っておきますが私は何も
- 義援金に協力する
- 被災地にボランティアに行く
- 援助物資を集めて送る
という行為がダメだとも意味が無いとも思っているわけではありません。それどころか素晴らしいことだと思っています。このような心を持つ人が多く住む国の国民であって本当に誇りに思います。
ただ、今までやっていた自分の仕事を放り出してまでボランティアに行くことや義援金を集めに走り回ることは、
「いまできること」ではないと思います。
また、「私にはなにもできない・・・」といって無力感を感じたり、罪悪感を感じる必要もないということです。そんなことを思う暇があったら、今までどおりの生活を今まで以上に頑張ればいい。
これをきっかけにより自分らしい自分を発見できたなら、それを実行するだけです。
今まで以上に一生懸命に。それが私の思う「いまできること」です。
マネーセンスとしてできること
といえば・・・やはり今までと変わりません。
「投資を伝えていくこと」
それだけです。
伝えたいことや提供できるものが変化するわけではありません。震災が起こったからといって、
「東京電力の株は今が買いですよ!」
のようなよくあるシグナル配信をしたりはしません。(実際買い時ではありませんので注意!)
今までも、これからも同じメッセージを発信し続けます。
今までも何度もお伝えしてきたように、投資家はなにが起こっても想定内の出来事にしておく必要があります。
- 身内の不幸があって投資ができない
- パソコンがフリーズしてロスカットできない
- 証券会社のサーバーがダウンして注文がだせない
などなど、明らかに自分のせいじゃなかったとしてもその責任は自分にありますし、事実、誰も守ってはくれません。
だからこそ、なにが起こっても想定内の出来事として対処できるようにしておく必要があります。これは私が一貫してお伝えしていることです。
そして、これはなにも投資に限ったことではありません。人生においてもそうです。
報道によれば、今回の大震災で12万人ほどの人々が職を失いました。本当に多くの方が生きる糧を得る方法を失ったわけです。
今回の大震災はその人たちの人生にとってまさに想定の範囲外の出来事だったのです。こういった事態はある時突然、自分の身に降りかかってきます。
今回はたまたま東関東だったわけで、あなたにも私にも同じことが起こる可能性があるのです。
天災を予知できればそれに備えることもできるのでしょうが、今の科学をもってしても地震を予知することはできません。
つまり私たちにできることは『何が起こっても大丈夫なようにしておく』これ以外にない、ということです。
気をつけていないとすぐに忘れてしまうこの事実を私は今回の震災で身を持って感じました。同時にこれまで以上にメッセージを発し続ける必要性を感じました。
これからも、今までと変わらず、投資を伝えていく。これが私の「今、自分にできること」です。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
「追伸」
今日は私の想いをお話しました。
ただ、資本主義社会において「経済なき想い」は淘汰され、結果的に多くの人に届けることができないという現実があります。
「いいものなのに衰退していく」ということです。残念なことですがこれは事実です。このことを私は「経済のテスト」と呼んでいます。
高潔な想い、それが事業であれば理念と名前を変えますが、そういうものがあって、なおかつそれが多くの人のためになるのであれば、それを世界に広めるために「経済」を結びつける必要があります。
ですから今日、私がお話した想い「今までどおりのことを今までどおりすること」は、ただの精神論などではなく経済的に裏打ちされたものでもあります。
次回は今日お話した想いの裏づけとなる経済についてお話します。
題名をつけるなら
「今の日本が円高になっている理由と日本が生き残るためにとり得る唯一の選択肢」
といったところになる予定です。